江戸の大普請 徳川都市計画の詩学
京に負けない「都」をつくりたいと願った、徳川の夢と都市計画を読む。
浅草に三十三間堂、品川に大仏、上野に清水寺があった・・。
(1657年に焼け落ちた)天守閣は再建されなかった。幕府が困窮していたとか、太平の世にあって必要としなかったともいわれるが、筆者が思うに、これは図像学上不要だったからではなかろうか。戦国時代には高くそびえる天守閣が必要不可欠だった。しかし、これは城主が人民を見下ろすことを可能にすると同時に、人民が城主を下から見上げることも可能にしてしまった。しかし、古来東アジア全域で統治者は見られるということを嫌ったのである。これはヨーロッパとはまったく逆だった。(略)徳川幕府は、自らの姿を隠したのである。
■目次
・まえがき 江戸の再発見
・第1章 日本橋、道の始まり
橋の建設/詩歌における橋と文化/仏教における橋と文化
実際の場所としての日本橋/日本橋の周辺
・第2章 新しい京・江戸
京に匹敵する江戸/その他の名所/大仏
・第3章 江戸聖地巡礼
江戸の宗教地図/裏鬼門/久能山と日光
開帳/五百羅漢寺
・第4章 歌枕を求めて
定まらない名所/富士山/伊勢物語/梅若丸
・第5章 吉原通いの図像学
橋/建物と樹木/宗教的な意味/日本堤/四季と伝説
時の操作/吉原の中で/家路
・あとがき/参考文献
著者:タイモン・スクリーチ、森下正昭
出版社:講談社
サイズ:B6
ページ数:285
発行年:2007.11
