博覧会と明治の日本
慶応3年(1867)、弱体化した幕府は、パリ万国博覧会に参加し、政権の正当性を誇示しようとした。一方、明治新政府は欧米の文明国に列するため万国博覧会に参加し、国内では内国勧業博覧会も開催する。その後、娯楽性を強め、産業育成という本来の機能を失っていく「博覧会」への一時の熱意は、近代化をめざす日本にいったい何をもたらしたのか。
■目次
・博覧会とは何か?-プロローグ
・万国博覧会の誕生
フランス内国博からロンドン万国博へ
見世物と薬品会-日本における博覧会の源流-
慶応3年のパリ万国博覧会
・明治初期の博覧会
日本はじめての博覧会
ウィーン万国博覧会-「自主の精神」の発見-
フィラデルフィア万国博覧会-産業オーケストラ-)
・内国勧業博覧会の誕生
内国博は見世物ではない
内国博の定期化
内国博の浸透
岐路に立たされる内国博
・遊園地化する博覧会
明治33年パリ万国博覧会と祝祭
変貌する内国博
万国博構想の挫折と内国博の終焉
・明治時代と博覧会-エピローグ
・あとがき
・史料・参考文献
著者:國雄行
出版社:吉川弘文館
サイズ:四六
ページ数:222
発行年:2010.05
