聖武天皇が造った都 難波宮・恭仁宮・紫香楽宮
奈良時代、聖武天皇は難波宮(なにわのみや)・京を再興し、ついで突然に平城京を出ると、恭仁宮(くにのみや)・京、紫香楽宮(しがらきのみや)を造営。5年間にわたって、これらの都城を転々とした。また、紫香楽宮の近くでは、盧舎那仏(るしゃなぶつ)の造立も行う。聖武天皇がこのように都を遷し、大仏を造立したのはなぜか。都城の最新の発掘成果と唐の三都制に注目して、今なお残る謎を鮮やかに解明する。
■目次
複都制の都 プロローグ
難波宮・京の造営(難波宮・京の再興難波宮・京と複都制/難波宮跡を歩く)
恭仁宮・京への遷都と造営(恭仁宮・京の造営/恭仁宮に葺かれた屋瓦
恭仁宮・京と隋唐洛陽城/恭仁宮跡の遺構をたどる)
紫香楽宮と盧舎那仏の造立(紫香楽宮の造営/廬舎那仏造立と行基/紫香楽宮の探索)
甲賀宮の造営と遷都(紫香楽宮と甲賀宮/甲賀宮の性格/紫香楽宮の木簡)
聖武天皇による都城の造営と三都制
(唐と日本の複都制/三都制の構想)
甲賀宮の造営と遷都の意味 エピローグ
著者:小笠原好彦
出版社:吉川弘文館
サイズ:四六
ページ数:276
発行年:2012.03
